雪虫たちのみる夢は


 ------------泣き声。
 遠くで巨大な化け物が、喉の奥から泣いているみたいだ。

 「----------おい、起きろよ悟空。凍死すんぞ」
 …そうだ、雪だ。
 この泣き声は、もうずっと止まない吹雪の音。
 もうずっと泣き止まない白銀の怪物の、嗚咽。

 「こんな所で、死んで逃げようってハラじゃねーだろうな」
 そんな悟浄の悪態で目覚める。ゆるやかに視界に入って来たのは、ランプの
黄色い薄明かり。古いコンクリートが剥き出しになった、地下室の低い天井。
 「………あれ……」
 そうか、ここは。
 「なんだ、寝惚けてんのか?」
 「気持ち良さそうに寝てましたからね」
 悟空を見下ろしているのは、すぐ脇の地べたに座って煙草をくゆらせている悟
浄のニヤリ笑いと、パイプ椅子に前屈みで腰掛けている八戒の柔らかい笑み。
 硬い床に敷かれた、ほつれた薄手の毛布から身体を起こす。着込んだままだっ
たダウンジャケットが、寝汗に滑ってギュギュッと鳴った。
 「喉渇いたでしょう、寝言も何度か出てましたよ。はい」
 八戒が薄く溶かれたインスタントのコーヒーを、アルマイトのカップで手渡す。
 それを受け取り湯気が鼻先を掠めると、思い出したように寒さが訪れ、悟空は
小さく身震いをした。
 その隣では悟浄が、アサルト・ライフルを立てて抱えたまま欠伸をひとつ。
 吹雪の唸り声が、絶えず遠くから聞こえてくる。窓のない地下室にいても、地
上が未だ雪と闇に閉ざされた絶望的な世界である事を痛感させられる。

 ……そうだった。この世界は。

 もう長い間太陽の片鱗さえうかがえない、極寒の世界。
 その吹雪でも消える事ない、戦火の燻る世界。
 どちらにせよ、つまりは夜の明けない真っ暗な時代だった。

 反乱軍の一小隊である悟空ら四人は、数時間後に決行される突入作戦のいわば
“斬り込み隊”としての任務を遂行すべく、敵地にほど近いこの地下基地で待機
しているのだ。

 ---------ガシャッ!!
 狭い地下室に響いた音の発生源を見遣ると、三蔵が簡易テーブルの前に腰掛け
てハンドガンの手入れをしていた。バレルのスライドを引き腕を伸ばして、フロ
ントサイトとリアサイトをチェックしている。
 ランプの灯りに鈍く光るベレッタ--------真っ黒なオートマ銃。
 三蔵がそれを手にしている事に、何故か違和感を覚えた。
 その銃が、銀色のリボルバーではないという事に。
 「……なんだ?」
 悟空の視線に気付いた三蔵はそう無愛想に問うと、慣れた手付きでグリップ内
にマガジンを叩き込んだ。
 「……いや……」
 その手許をみつめたまま、悟空は渇いた声を絞り出す。
 「……変な夢、見てた」
 「変って、どんなです?」
 八戒が尋ねてきた。
 三蔵と悟浄も、それとなく視線を悟空に落としている。
 見慣れた三つの顔を順にゆっくりと巡ってから、悟空はその目を閉じた。
 淡く消えそうになる夢の記憶を、手放さぬよう必死に掴む。

 「……ここじゃない、どこかで」

 強く照りつける太陽。青く果てしない空。大地の息吹。
 風を切って進む----------------------

 「俺達が、旅してる夢」

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 激しく水を蹴るふたつの足音が、長く暗いトンネルの中に響いている。
 彼らが持つたった一本の懐中電灯が、地下水路の壁や水面にせわしなく光のラ
インを殴り書く。
 水飛沫を上げて走り続ける、二つの影。やがて低い方の影が、力尽きたように
その足を止めた。
 「--------------------ッ………はぁ、ゼエッ、はっ……」
 少年は震える膝を掴んで踏み止まり、肩で何度も荒い呼吸をした後、力無くコ
ンクリートの壁に背中を預ける。
 漆黒の髪から、滴り落ちる大量の汗。地下水路の中は凍結を防ぐ為に、脳味噌
から思考を絞り取られるような蒸し暑さだ。生温い水中にいるようでもある。
 久保田も立ち止まり、壁に寄り掛かったまま呼吸を整えている少年の前まで戻
った。普通に立っていても足首を隠す高さの水は、執拗に絡みついてその歩みを
鈍らせる。
 「………っ………ワリ………」
 少年が、喘ぐ隙間にそう漏らした。
 「いや」
 自身も息を整えながら久保田は少年の隣でやはり壁に凭れ、詰め襟の軍服の前
をはだけた。
 「……今、どの辺まで来たか、分かるか?」
 「少なくとも、軍の敷地内は抜け出したと思うけどね。安全圏まではまだ長い」
 そう答えながら久保田は、“安全”なんて言葉が酷く現実味のない物だと理解
はしていた。自分達は逃亡者なのだ。
 政府軍の重大機密である生物兵器の少年を連れだって、逃亡を図った軍人。
 …結婚式の会場から新婦を連れ去る男みたいなもんだな。久保田はのほほんと
そんな事を考えながら、軍服の内ポケットからひしゃげた煙草を取り出した。
 その一本に火を灯しつつ、すぐ隣にいる“生物兵器”に目線を落とす。
 どう見たってごく普通の少年だ。その右手が、異形の姿をしている事を除けば。

 久保田は任務柄、研究所に頻繁に出入りしていた。少年とは顔見知りだったが、
言葉を交わした事はなかった。……つい数時間前までは。
 ただただ真っ白く明るい、無機質な部屋に幽閉されていたその少年は言った。
 「----------ここから出せ。」
 強く真っ直ぐな目。
 「わかった。」
 それが久保田の返事。
 合図。
 そして、すべての答えだった。

 その時と同じ意志の強い眼差しが、隣で煙を吐き出す久保田を見上げた。
 「……どうして一緒に来たんだよ。お前は上層部の人間なんだから、逃げる必
要なんてなかっただろ」
 「昨日ね、夢を見たんだけど。」
 「……は?」
 「夢の中で俺は、お前とふたりで暮らしてるんだ」
 「……………………………。で?」
 「それだけ」
 「あぁ?」
 「だから、それだけなんだって」
 久保田は飄々と言ってのけると、少年に目線をやって微かに微笑む。
 「そこにはお前だけだった。他に何もなかった。
  でも、それでよかった。つまりそういう事」
 脈絡のない言葉の羅列に少年は、どんな顔をしていいのかさえ分からず、言葉
に詰まる。
 「……………っ、それは、夢の話だろ?」
 「そうね」
 アッサリと取って返して、久保田は続ける。
 「だけどそれが例え夢の中でも現実でも、地の果てでも海の中でも同じ事だ」
 「わけわかんねえ……」
 「わかるさ、そのうち」
 少年は呆れて、溜め息をついた。コイツのこの自信は、一体どこから来るんだ
ろう。そう思ってから、しかし自分もあまり人の事は言えないと思い当たる。
 「……変なヤツ」
 少年は初めて笑った。幼く見える笑顔。それは、昨夜の夢と同じだった。
 「その変な奴をわざわざ指名したのは、どこの変な奴よ?」
 「だってさ、アンタならきっと----------」
 「待った」
 久保田が少年の唇を、軽く指先で塞ぐ。
 遥か遠く、彼らが今来たずっと向こうから、微かにサイレンの音が流れて来る。
 「……案外早くバレたね」
 狩りの合図だろう。獲物ならここにいる。
 だが二人は高さの違う視線を絡ませて、同時に口の端に不敵な笑みを浮かべて
いた。

 自信はある。
 逃げ切る自信とまでは言わない。決して、後悔しない自信が。

 「-----------------いつか」
 「ん?」
 「聞かせろよ。その夢の話」
 少年の真っ直ぐな視線を受け止めて、久保田は無言で微笑んだ。そして指先で、
短くなった煙草を軽く跳ね上げる。
 吸い殻が水面に落ちるよりも早く、二人は果てしない水路を走り出していた。

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 ガラガラガラガラガラ。
 漆黒の軍服に防寒コートをひっかけた二人の男が、それぞれ一台づつ滑車付き
の担荷を押しながら、細長く無機質な廊下を進んでいる。耳鳴りのような低いモ
ーター音と滑車の音、それとふたつの硬い足音だけが単調に響いていた。
 やがて廊下の突き当たりで二人は足を止め、静かに開いた自動ドアの向こうへ
と更に担荷を押し進める。ドアプレートには横文字で『安置室』とだけ記されて
いた。部屋の中から溢れ出た目にも白い冷気は、微かに防腐剤の匂いがする。
 二人の男はその巨大な冷蔵庫よろしい部屋で、担荷に被せられた白い布を剥ぎ
取った。
 担荷の上には、安置すべき『物』が戦闘服を来たまま無言で横たわっている。
 たった今運んで来た二体のそれを、ふたりは黙々と一体づつ丁寧に持ち上げて、
巨大なロッカーのように整然と並んだ棚-------------寝台へと入れてゆく。

 ----------こんな所に仕舞わなくたって、この世界はまるごと遺体安置室みたい
なモンじゃないの。山崎はぼんやりそう思った。

 「……これで今日の分はラストか」
 その思考を遮るように陣内が声をかける。
 「そーすね、今日の分は」
 取り立てて確認し合う事でもないが、そうやって無駄な会話でも交わさない限
り、自分が生きているという感覚さえ曖昧になりそうな気がした。
 「どうせまた、明日には増えてる」独り言のように言い捨てて、山崎は皮肉な
笑みを浮かべる。
 「……増えるんじゃねえさ、減ってるんだ。人間がな」
 命が減った数だけ増えてゆく『物』たちのロッカーを、ゆっくりと見渡しなが
ら陣内がそう呟く。それもやはり、独り言のような声色だった。

 陣内が自分のコートの内ポケットに手を入れる。一拍遅れて山崎もコートをま
さぐり、二人同時に取り出した煙草を一本づつ、それぞれ唇に銜えた。
 山崎がジェットライターを点火して、陣内の煙草、自分の煙草と順に火を灯す。
 深く吸い込んで、溜め息のように吐き出された紫がかった煙は、天井の排気孔
にゆったり吸い上げられていった。
 これが二人の日課で、一日の最後にあげる弔いの線香代わりだった。
 身体が徐々に冷えて来て、煙草を挟んだ指先は手袋をしていても尚、かじかむ。
 だが、それが正しい。
 自分はこの部屋にいるべき存在ではないのだと、寒さという感覚が教えてくれ
る。安堵と呼ぶかは別にして、だ。自分もいつか近いうちに移動を命じられ、今
の遺体搬送係から兵士として戦前へと送り込まれるだろう。

 そうして『物』となってこの部屋へ帰ってくる時には、「ただいま」なんて軽
口も叩く事は出来ない。……つまらない話だ。

 「毎日こんなんだから、おかしな夢まで見る」
 煙を肺から追い出して、山崎がそう独りごちる。
 「どんな夢だ」
 「------------死体を運ぶ夢」
 「…それじゃあ現実と変わりねえな」
 陣内が肩で笑う。それに合わせて、鼻の孔から煙草の白煙が沸き出した。
 「--------夢の中でも俺とアンタは、国家に雇われてて」
 「なんだ、俺も出て来るのか」
 「死体を運ぶ職務についている。町は荒れ放題で、臓器売買を目的とした
チンピラどもがハイエナみたいに死体に寄って来る。運ぶ俺達も命懸けよ?」
 「良いトコ無しだな。夢の中ぐらい、ラクしたいもんだ」
 「いや……でも。案外悪くなかったかなぁ」
 山崎は冷たい壁に背中を預けると、煙草のフィルターを歯嚼みしながらそう呟
いた。山崎の右側に立つ陣内からは、眼帯の横顔しか窺えない。
 「悪くないって、そんな夢がか?」
 「楽だとは言わないけど、現実とは違う部分がふたつあった。汚ねえ灰色の空
でも、こことは違って毎日太陽が昇る。それと、もうひとつは-----------」
 煙を細く吐き出して、片眉を上げながら山崎は苦々しく笑った。

 「俺達はその仕事に、誇りを持ってるってコト」

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 作戦決行は12月25日の午前零時。
 …あと一時間足らずだ。長い一時間になりそうだと、三蔵は思った。
 「今日は12月24日----------聖夜ですね、そういえば」
 もうすでに頭に叩き込んである敵地までの地図を意味もなく眺めながら、思い
出したように八戒がそう呟く。
 「はッ、まさにホワイトクリスマスってか」
 悟浄が皮肉めいた笑いを漏らす。指先でフィルターギリギリまで燃え尽きた煙
草を、非常食の空き缶で捩り消した。
 「ありがたみのねえ雪だこと」
 「悟空」
 呼ばれて振り向けば、三蔵がゴーグルを投げて寄越す。悟空はそれを受け取っ
て、無言でもそもそと首に下げた。
 「いつまでも寝惚けてるなよ」
 死にたくなければな、と続きそうな言葉は、しかし紡がれる事はなかった。
 発せられなかった言葉が、逆にぼんやりとリアルだった。
 「……ん。」
 悟空はかぶりを数回振る。つい先刻まで確かに手ごたえのあった、夢の中での
現実が急速に遠ざかっていくようだった。唇を強く噛む。

 青い空があった。
 果てしない大地があった。
 風のような自由があった。
 みんながいた。
 笑っていた。
 命懸けで戦って、それでも笑っていた。
 生きていた。
 俺達は、活きていた。

 そう………あれは夢だ。
 俺が抱くこの願いは、儚い夢だ。

 思考のチャンネルを現実世界に戻そうと、悟空はじっと耳を澄ました。
 ----------が、しばらくして、何かにとり憑かれたようにゆらりと立ち上がる。
 その金色がかった大きな瞳は虚ろに、ここではない何処か遠くを見ていた。
 他の三人が悟空の異変に気付いて視線を上げる。
 「----------悟空?」
 「どうかしましたか」
 訝しげに問いかける彼らの声に、振り向きもせず悟空が小さく呟く。
 「-----------聞こえない」
 「なに?」

 「泣き声-------------吹雪の音。聞こえない…」

 言われて三人が耳を澄ますよりも早く、悟空は突然駆け出していた。
 「---------おい、悟空!?」
 悟空の小さな身体は吹き飛ばす程の勢いでドアを開け、地上出口への狭い階
段を一気に駆け上がる。地下道の出入り口は岩影に作られているが、扉を開け
るとそれでも尚、外には吹き込んだ雪で高い壁が築かれていた。
 「-------------ッ!!」
 悟空は溺れて足掻くように無我夢中で、両の腕でその雪の壁を崩し、掻き分
ける。

 ----------空が見えた。
 深い藍色の、夜空。

 「……………」
 それを見上げたまま悟空は呆然と、雪の地表に這い上がってゆく。
 雪はやんでいた。それどころか、永遠のように重くのしかかっていた灰色の
雲は、いまは何処にも見えない。
 果てしない銀色の雪原の上には、満天の星の輝く紺碧の夜空が、ゆるやかな
グラデーションを帯びて視界いっぱいに広がっていた。
 雪と星の放つ光が眩しくて、辺りは真夜中とは思えない明るさに満ちていた。
 悟空は雪原の上に立ち尽くし空を仰いだまま、ゆっくりと身体を一周させる。
 360度……すべてが銀色と藍色で構成された、巨大なドームの真ん中に立っ
ているようだった。
 これもまた夢の続きか-----------------そう疑うほどの静謐な景色。
 ただただ世界は静まりかえり、星が瞬く音までも聞こえそうだ。

 鼻の頭を赤くして、悟空は白い吐息とともに声を漏らす。
 「星が………雪みたいだ……」

 紺碧の空を埋め尽くす星の輝き。
 降り注ぐ、舞い落ちてくる無数の光。
 ………泣いていた。
 気がつけば目は滂沱の涙で溢れ、視界では星が滲んで一層キラキラと揺らめ
いていた。とめどない涙が目尻をつたい、無防備な両の耳朶に流れ込んでくる。
 悟空はそれを拭おうともせず、微動だにしないで夜空を見上げ続けていた。
 いつの間にか悟空の横に、三蔵と悟浄と八戒が並んで立っていた。
 皆、ただ黙って空を見上げている。
 今この瞬間なら、何処からか狙撃されて死んでも構わないとさえ思った。
 それ以前に世界中の生き物が---------人間も動物も、今はただ同じこの星空
を見上げているような気がした。

 「--------------------こんど」
 悟空が空を仰いだまま、微かな声を零す。
 「今度みんなでこんな空を見るのは、どの時代なんだろうな」

 「……なんの話だ?」
 「………うん」
 悟空の横顔は星の光を浴びて、ただ穏やかに微笑んでいた。


 「夢だよ。」

                 END.





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ありきたりだけど、一度は書いてみたかった戦争モノのパラレル。
こういうテイストのは好き嫌いがわかれるかもしれません。
最後まで我慢強く読んで下さった方、本当にありがとう(笑)。
このSSは、上のタイトルロゴに使っている画像(フリー素材のCD-ROMに収録
されていた画像です)を見て、そこから浮かんだ話を書き出してみた物。
……本当は、白い砂が降り積もっている写真なのですが(笑)。

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